特務艦間宮・給糧艦間宮

Mamiya Project
給糧艦・間宮物語製作実行委員会(非営利)
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♪”仰げば尊し”1884(明治17年文部省唱歌)著作権消滅曲

From 4th July 2009

特務艦間宮・給糧艦間宮"Donne-nous aujourd'hui notre pain quotidien"特務艦間宮・給糧艦間宮「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」特務艦間宮・給糧艦間宮(マタイ.6.11)特務艦間宮・給糧艦間宮

特務艦間宮・給糧艦間宮

特務艦間宮のカラー写真化

特務艦間宮・給糧艦間宮

NHK歴史秘話ヒストリア このサイトから生まれました。

1922年(大正11年)7月15日起工(川崎造船所・神戸)
1923年(大正12年)7月15日進水。
1924年(大正13年)7月15日竣工。
1937年(昭和12年)〜1938年(昭和13年)支那事変。 糧食補給任務に従事。
1941年(昭和16年)〜1944年(昭和19年)第二次大戦。 トラック、パラオ、フィリピン等への糧食補給任務に従事。
1943年(昭和18年)10月 日父島沖でアメリカ潜水艦セロの雷撃損傷。
1944年(昭和19年)5月6日五島列島南方(東シナ海)アメリカ潜水艦スピアフィッシュの雷撃損傷損傷。 佐世保工廠で修理。
1944年(昭和19年)12月20日サイゴンからフィリピン方面に補給の途中、南支那海東沙島西方海南島東方南シナ海)                         
でアメリカ潜水艦シーライオンの雷撃を受け沈没。
1945年(昭和20年)2月10日除籍。

間宮の任務 開戦時の連合艦隊編成について
本艦は食料貯蔵設備を持ち平時には艦隊への、戦時には戦地への食料補給が期待された。
艦内の冷蔵庫や冷凍庫で肉、魚、野菜など18,000人の3週間分の食料を貯蔵できた。
またアイスクリーム、最中、饅頭などの嗜好品からこんにゃく、豆腐などの日本固有
の食品まで多くの加工食品が製造でき、そのために専門の職人が軍属として働いていた。
本艦が入港すると新鮮な食料が各艦に補給されるため、非常に人気のある艦だったという。
戦前では日本海軍内でほぼ唯一の給糧艦だったため、修理、整備以外の全ての期間で
連合艦隊の付属として食糧の補給任務に従事した。大戦中も各地への食糧輸送に活躍

歴代間宮艦長<まみや>(艤装員長:大谷四郎大佐)

 

艦長氏名

本籍

前職

後職

最終職

兼職

大正13年7月15

大谷 四郎

31

東京

満州艦長

舞鶴要港部員

呉軍需部長

 

大正131025

片山  登

32

石川

海軍大学校教官

軍令部員

呉港務部長

 

大正1412月1日

山口 清七

32

石川

早鞆艦長

天龍艦長

水路部1課長

 

大正1511月1日

 

 

 

 

 

 

 

 

入江 渕平

33

福岡

 

阿武隈艦長

 

 

昭和3年1210

 

 

 

 

 

 

 

昭和4年1130

小島謙太郎

36

東京

陸奥副長

鎮海要港部参謀長

横須賀防備隊司令

 

昭和5年1115

藤森清一朗

37

長野

伊勢副長

朝日艦長

北京在勤武官

 

昭和6年12月1日

富田 貴一

38

兵庫

 

由良艦長

由良艦長

 

昭和7年12月1日

 

 

 

 

 

 

 

昭和8年1115

鈴木 義尾

40

山形

第2艦隊参謀

海軍大学校教官

第3戦隊司令官

 

昭和9年5月25

佐々木清恭

38

岩手

通信学校教官

艦政本部3部員

技術研究所電気研究部長

昭和9年1115

青柳 宗重

37

長野

艦政本部員

常磐艦長

比叡艦長

 

昭和11年3月2日

柿本権一郎

41

和歌山

軍令部10課員

高崎艤装員長

第1連合通信隊司令官

昭和1112月1日

星野 応韶

41

京都

長門副長

呉軍需部総務課長

大阪在勤武官

 

昭和121115

秋山 門造

42

香川

榛名副長

呉海兵団副長

第6根拠地隊司令官

 

昭和131215

 

 

 

 

 

 

 

昭和141115

野村 留吉

46

山口

横須賀鎮守府幕僚

青島根拠地隊副長

軍令部4部長

 

昭和151015

 

 

 

 

 

 

 

昭和16年7月1日

福吉 保夫

42

広島

横須賀通信隊司令

秋田地方人事局長

那覇地方人事局長

 

昭和1611月5日

万膳 三雄

 

 

 

 

 

 

昭和1710月3日

大藤 正直

39

山口

 

 

摂津艦長

隼鷹艦長

昭和19年4月28

清水 正心

43

三重

知床艦長

北上艦長

 

 

昭和19年8月29

加瀬 三郎

44

千葉

北上艦長

戦死

間宮艦長

 

昭和191220日戦没(加瀬艦長戦死)

 

 

 

 

@壱番 
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このwwwから最初に知り合った広島呉のS.I.さんのお祖父さまの遺影です。
30歳代で呉海兵団に入団され、その後九州の海兵団経由で間宮勤務になったそうです。
徴兵前は瀬戸内海の島で石工の仕事をされていたようです。お祖母さまは昭和50年に
亡くなれてますが、お孫さんも多く,皆さまは全国で活躍されています。

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特務艦間宮戦没者慰霊碑
1983年(昭和58年)11月20日建立。 合祀者502柱 長迫公園(旧海軍墓地 呉)

A弐番 
特務艦間宮・給糧艦間宮

昭和2年特務艦・間宮任務報告書

B参番 
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間宮の現状ー館長直筆

C肆番
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臨時野菜取扱傭人10名募集ー海軍大臣あて 特務艦間宮艦長より

D伍番 
特務艦間宮・給糧艦間宮

給糧艦”伊良湖”の海底動画
間宮の海底写真はあるのでしょうか?

E陸番 

ヒ79船団 (第5護衛船団司令官 吉富説三 少将)
昭和19年10月26日門司発
船種 船名 所属 総トン数 積荷 戦死者 備考
油槽船 天榮丸 (2TL) 日東商船 10,241t (不明) - -
油槽船 松島丸 (2TL) 日本海洋漁業 10,240t (不明) - -
貨物船 香久丸 大阪商船 8,417t (不明) - 高雄迄
特設運送船(雑・乙)
貨物船 めるぼるん丸 大阪商船 5,423t (不明) - -
貨物船 有馬山丸 三井船舶 8,668t (不明) - -
給糧艦 間宮 海軍 (基)15,820t (不明) - 高雄迄
油槽船 K潮丸 東和汽船 10,518t (不明) - 高雄から
油槽船 良榮丸 (1TL) 日東汽船 10,016t (不明) - 高雄から
特設運送船(油・甲)
護衛部隊 香椎 (軽巡洋艦) 能美 (海防艦) 鵜来 (海防艦) 第17号海防艦 +
新井崎 (敷設艇) 第21号掃海艇 +- 満珠 (海防艦) +
昭和19年10月27日に"第17号海防艦"が、28日に"第21号掃海艇"が船団に加入。
10月29日"めるぼるん丸"が分離し基隆に向かう。
10月30日高雄にて"間宮;・"香久丸"・"第21号掃海艇"が分離し、
"黒潮丸"・"良榮丸"・"満珠"が合流。昭和19年11月9日シンガポール着。

ある日の任務

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